水瀬いのりさん20歳の誕生日おめでとうございます


まず恋愛ラボの頃に興味を持てたのが良かった。
当時17歳って年齢と何をするにも不慣れでビクついてたのが可愛くて「これは」と思った。
恋愛ラボのイベントでは初めてのお手紙を出した。
昔接近でレスを貰うためだけに内容の無いお手紙を上坂すみれさんに出したのをノーカウントとして初めてのお手紙だった。
そもそも若手声優を追っかけるのは初めてだったので水瀬さんも不慣れであれば僕も不慣れという、そういう距離感で良かった。

最初に違和感が出てきたのはやっぱりごちうさの頃。
当たり役を引くとはこのことなんだなと痛感した。
今思えばここがUターンするかどうかの分岐点だったんじゃないか。
ともあれ、今までロボガ等で雑にイベントに参加できていたのが一筋縄ではいかなくなった。
そもそもPetit Rabbit's自体数字持ってる人の集まりだったので、その中で水瀬さんが一番使いやすくてイベントも増えるし作品人気で大概険しい。
恋愛ラボ以来自分で満足してしまってお手紙を怠けてたのだけど、ごちうさの険しさを見てお手紙を書かねばと焦った。
焦りからお手紙を書くというのも手段と目的が倒錯してるわけだけど、
この頃にはお手紙は目的じゃなくて手段という認識になっていた。

お手紙が手段化してくると、そしたらラジオへのメール・Twitterへのリプライ同様コンタクトツールなわけで、
話題を見つけては送るルーチンな作業になってくる。
実際そこまで内容が無いわけではないけど気持ちがルーチンなのだ。
というのが顕著化したのが天体のメソッド辺り、2014年下半期といった時期。
アニメ・ラジオ・Twitterでの発言、その他水瀬さんの発信に対して、
良い悪い可愛い素敵とかの感情よりも「これをどう読み解いてどうお手紙に感想として出力するか」をメインに考えてろくに楽しんでなかった。
地味に労力の要る見方ではあって、だから水瀬さん出演の仕事が決まるたび、嬉しい楽しみという気持ちよりも先に溜息が出る状態だった。
今もなおそのスタンスなので「状態だった」じゃなくて「状態」なのだ。

スタンスいう意味でもう一つ、「イベントに参加することが誠意」という気持ちも自分の首を絞めてた。
とにかく水瀬さんが出るイベントには必ず行くべきで、行かないことこそ不誠実、行って初めてスタートラインという減点法を採用していた。
していた、わけでなく今もそうなので、しているのだ。
そこで「水瀬さんを見たい」という気持ちは既に副次的なモノになっていて、
イベントでの発言・立ち居振る舞いはイベントでしか受信できない発信であるわけだから、
そこでお手紙の話にも繋がってくるわけだけど、要は義務感なんだろう。
とはいってもイベントに参加するのはルーチンで済まされるほど楽な話でなく、
そりゃ当たり役を引くものだから、アニメのBDを買って優先応募券で応募してなり、プレイガイド先行に応募して外れれば一般発売で頑張ったり、とにかく気苦労が多い。
水瀬さん出演の仕事が決まるたび溜息が出るという話もはここにも繋がる。

そういうのが続くのがひとまず2015年夏まで。
その後もダンまちがっこうぐらしシンフォギア等出演が続いた。
他のキャラが喋ってる時はアニメをアニメ然と楽しんでいるのに、
水瀬さんキャラの声が聞こえ始めるとイベントやお手紙のことを考えてしんどくなるという状態だったのが客観的に見てアホっぽかった。
非ヲタの友人に愚痴ったら「それはもうファンじゃなくない?」って言われたからお前のファン観を一意に押し付けるなと反発するものの、翻って僕のファン観はどこにあるんだという話だ。
結局自分の決めたスタンスに動かされてるだけで、言うなればそこに本人(ここでは水瀬さん本人)への感情は伴ってないわけだから。
伴ってないというのは言い過ぎとしても、本人のレスを期待した射幸心がメインになってる。
いやまあ声優の追っかけなんて突き詰めれば全部射幸心なんだろうけど…。
とにかく2015年夏まではそういうことだったのだ。

それが瓦解し始めるのが2015年秋からのここさけ。
先も言ったようにイベントに行くことが誠意で、イベントに参加しないことが不誠実なイベント減点法なので、
それでいくと今までも地方や海外のイベントを諦めてマイナス100万点くらいになってたけど、
ここさけ舞台挨拶でマイナス2億点になった。
学生の身で地方巡回はきつすぎる、というのは甘えっちゃ甘えなんだけど、
地方に行くお金が無いからと舞台挨拶を蹴ったお金で庶民サンプルの先行上映やi☆Risのワンマンライブに行くのが良くなかった。
芹澤優ちゃん大好きかよ。
それが大概楽しくて、あっ我は声優観るのが好きな人間だったなと思い出した。
マイナス2億点がマイナス3億点になったところで変わらないので都内のここさけ舞台挨拶も何度か干した。
干して残るのは後悔じゃなくてお金なのだなと気づくのが更に良くない。
もしかしてイベント参加は減点法じゃなくて加点法のほうが楽しいんじゃない?というのは知見そのものだった。

それに気づいた頃には水瀬さんも人気声優として羽ばたいていた。
アニメのレギュラーが続いてここさけでドカンとダメ押しされた。
一番それが見て取れたのがTwitterで、本人の発言に対するリツイート数はどんどん増えていくし、リプライ数もどんどん増えていく。
本人宛のリプライを監視してるわけじゃないけど。
『いのりまち』登録報告も増えていくし会員証?のキャプチャを本人に送りつけてそれを本人も拾うなんてヤバいインターネットに来てしまったという気持ちしかなかった。
本人の発信で言うと「金券貰うのも嬉しい」とか言ってる時もあって早くTwitter飽きてほしいと渋い顔になる。
思えば19歳でTwitterを駆使できるわけないし、僕も2chに書き込めるようになるまで3年はROMってた。
基本的に声優はTwitter辞めればいいと思ってるし、お手紙でも極力Twitterの内容に触れないことにしてる。
とにかく水瀬さんは膨大なファン数を獲得したのだ。


そこで本題のアーティストデビューの話になってくる。
本日2015年12月2日、20歳の誕生日当日に水瀬いのりさんはソロアーティストデビューを果たす。
おめでとうございます。
おめでとうとは書いたけどこの流れで素直に喜べてるかで言うとやはりそんなことはなく。
そもそも水瀬いのりのパーソナルな話になってくるのだけど、
今まで僕の見てきた水瀬さんというのは、人前に立つことに苦手意識があって前に出ることに消極的、なるべくなら表に出たくないくらいの理解でいたし、そういう発言を本人がすることもままあった。
実際少なからずそういう箇所に惹かれていたという面もあって、そんな彼女を応援するという構図で成立していたドラマ(≒イベント)もあったはずだった。
そこで急に出てきたアーティストデビュー。
アーティストデビューそのものは良い事としても、それに前向きな水瀬さんというのが今までの僕の理解の水瀬さんから乖離していた。
言うなれば同根異樹的な、根幹では水瀬いのり自身であるものが、声優文脈とアーティスト文脈でこうも違うものかと悩まされた。
僕の水瀬いのりに対する理解がそこまでだったという話ではあるけれど、
「自分のことをわかってくれる人だけでいい」なんてブログで発信する水瀬いのりを前にして、
理解の乖離は深刻なダメージだった。
これからアーティスト=水瀬いのりに対する姿勢が危ぶまれる、というかそもそも決めきれてないのだ。
けれども一方、幸いな事に、水瀬さんは膨大なファン数を獲得している。
不幸なことに、水瀬さんは膨大なファン数を獲得してしまっている。
僕の行動原理が射幸心なら、分母が増えるほど当たりは狙いづらいという話で、
射幸心が薄れてなお僕が動くのは、ごちうさ以前から追っているという矜持に他ならない。
これを惰性と言い換えるなら、そういった意味で、ここが第2の分岐点なんじゃないか。
ごちうさ1期を経てなお食い下がった自分が、ここさけを経てアーティストデビューする今、
更に岐路に立ってるように思える。
食い下がるには点数を下げ過ぎたかもしれない。

ここまでネガティヴな話を続けたものの、勿論水瀬さん自身への好意は前提としてあって、
それがなきゃ追っているのなんてとうに辞めてるという話なんだけど、
好意は理解であって理解が瓦解した今好意を示す手立てが無い。
結局今食い下がるとしたら、アーティスト=水瀬いのりを、好きなる=理解するところがスタートラインになりそうだ。
取っ掛かりとしては『夢のつぼみ』、めちゃめちゃ良い曲なんですよ。
なんかズルいくらい水瀬さんの声の伸びがサビのメロディにマッチしてて。
とりあえずはCDを買ってリリースイベントに行くところからなんだろうな。
恋愛ラボの頃に興味を持てたのが良かった」が今後どういう意味を持つんだろう。

改めて水瀬いのりさんお誕生日おめでとうございます。