水瀬いのりさん21歳の誕生日おめでとうございます

夢のつぼみ』は人並みに買った。
人並みというのは好きな声優を「好き」と言い張る自尊心を保てる程度という意味。
それで当たったリリースイベントは年明けのアニメイト横浜である1つだけだった。
いっぱいリリイベ当たってたら好きな声優のファン続けよ〜ってなってたし、
1つも当たらなかったら好きな声優じゃない声優のファンになろ〜ってなってたので、
「1つ」というのはひどく示唆的な結果だったのだ。


去年の12月2日に書いた記事が人に読まれることで割と自分を客観視できた。
知り合いからはみんな通る道ですよって言ってもらえて、
知り合いじゃない人からは悲しくなるとか限界とか言ってもらえた。
それで自分の行動を改めることができたし落ち着けたと思う。
「行動を改める」というのは手段と目的の倒錯した自己中心的ファン行為を止めて、
「落ち着く」というのは手段化してしまった目的を一旦リセットした、という意味で、
すると残ったのは好きな声優に対して怠惰な自分だった。

怠惰と言っても行けるイベントはもちろん行くのだけど、
別に行ければ席は最後列でもいいやとか、
イベントに落選したらしたで違う声優を観に行けばいいやとか、
そういう意識の上での怠け方だった。
えらいもので「好きな声優に対して努力しない」という行為に自覚的になると
脳が説得されないというか、気持ちが行動に先行しないというか、
悪い意味で好きな声優から解放されたような心地よさがあった。
そこに心地よさを感じる自分に気づいてしまうとやばい、という焦りもあって、
全然情緒が安定しない1年であったように思うし、今も安定してない。


harmony ribbon』も人並みに買った。
目の前に何枚も同じCDがあると「ああ我は好きな声優に対して努力をしているな」となるから良い。
当たったのはアニメイト仙台の1つだけだった。
でも声優を観られるかどうかというのは既に些末な問題で、
声優に対して努力しているかという過程が大事なのだった。
好きな声優に対して努力しすぎない自分と、
好きな声優に対して努力しすぎない自分に気づく自分とのせめぎ合いの結果、
CDの購入枚数も「人並み」程度なのだ。
声優を差し置いて過程を重視している時点で既に自己陶酔的ファン行為であるにも関わらず、
同じ轍を踏んでいることに気づけずにいた。


Starry Wish』も人並みに買った。
リスアニライブin台湾が発表されてチケットや宿や足を取った。
「好きな声優」は既に実体が無いのにお金を使うと脳が説得されるのが良かった。
そして殺害予告があって、
努力の向かう実体が本当に失くなったのだ。


その報を受けて真っ先に感じたのは「好きな声優から解放された」という安堵だったと思う。
一刻も早くイベント至上主義的価値観から脱却すべきだし、
好きな声優のイベントが失くなることでそれが果たされるのは良いことだったのだ。
イベントが無くても声優は地続きで声優だし、
努力の対象が失くなることで自己陶酔的ファン行為からの脱却が可能になったのだ。
そう思ってた時に本人がブログを更新したのが良くなかった。
イベントに臨む演者の「楽しみ」って感情や「イベントのために歌詞を覚える」なんてのは
僕には完全に抜け落ちていた観点で、
自分に酔っていたところをガンガン鈍器で殴られたつらさがあった。
水瀬さんが掲示板やブログで「怒り」や「イライラして」なんて言葉を使うのが衝撃的だったし、
イベントが失くなった事実に対して全然テンションが違ったことで悲しくなって、
なにより「自己陶酔的ファン行為からの脱却が可能になったのだ」と言ってる自分に僕は陶酔してたんだなという事実がかなり皮肉めいていた。


じゃあ結局何をするのが正解なのかはまだ分かってない。
分かってないもののそうやってショックを受けるのは好きな声優のことを「好き」な証左だと思うし、
この一件が自分なりのファン行為を模索する機会になるんじゃないかな。
そうやってファン行為を模索しながら、
リリイベ当選権の代わりにポスターが1つだけ送られてくることでまた首の皮一枚繋がっていくんだと思う*1


改めて水瀬いのりさん21歳のお誕生日おめでとうございます。

*1:12/25追記:2本来た