悠木碧 Concert2015「プルミエ!」

行ってきました。


とにかくヤバイものを見た・・・。
4月度のイベント記事を決めあぐねていたところでヤバいライブが来たのだ・・。



開演10分前くらいに舞浜アンフィシアター着。
入場したら旗をもらった。
がをられのイベントかよって思った(がをられでは2本配ってた)。
約束されたクピドゥレビューだ。
席はCD先行だけあって22列の最上手だった。
でも舞台を俯瞰できるという点では後方で良かった、というのは終わった上で言えるやつだ。
舞浜アンフィシアターに感謝・・。
開演は15分くらい押してた。

開演。
ステージ中央に穴が空いてポップアップで出てきたのはベッドに寝てる女性とその脇に座るお婆さん。
あーそれっぽいセットだ。悠木碧ちゃん好きそうだもん、って思ってた。

1曲目「ハコニワソレイユ」
まだ悠木碧ちゃんは登場しない。
なんなら僕の位置からベッドの様子が見えにくかったからあおちゃんベッドに寝てるのかなって思ってたし、
曲自体も音源を流してる状態でイントロデュースな位置なのかなって思ってた。
それも束の間天空から舞い降りる悠木碧よ。
純白の衣装に身を包んで歌を唄いながらゆっくり降りてくる悠木碧よ。
瞬間あっけに取られて、これはやばいライブになるぞと確信した、そんな衝撃だった。
そんな強引に悠木碧ワールドに客を取り込んでくるのか。
ベッドの上に着地しようとして少しふらついてて会場がクスっとなってた。
これで少し現実に引き戻されて、危ない危ない、騙されんぞ悠木碧ワールド、と褌を締めた。


2曲目「回転木馬としっぽのうた」
これがまずやばかった。
何がってまず1stミニアルバム「プティパ」の表題曲がこの順番で来るのを予想してない。
いやほんとプティパはどれを取っても名盤なんだけど、リリース時まだ上京前という身の上でこういう機会でもないと一生聴くこともできないだろうという曲が聴けるエモさがあった。
舞台演出としてはさっきのベッドとかは消えて3段分の階段が代わりに出てきた。
アンフィシアターという会場はどうやらステージが3つの同心円で分かれてるみたいで、
一番内側の円はアップダウンすることでセット(と演者)が出入りして、
2番目の円はそれこそメリーゴーランドよろしくクルクル回るようにできてる。
一番外周の円はそれらのギミックの影響を受けないから安全。
あおちゃんは外周をちょろちょろしながら歌ってるんだけど、
動物?道化?みたいなメイクをしたダンサー(僕は劇団四季みたいな印象を受けた)が2番目の円上でクルクル回りながら踊るし、数人は階段上でパフォーマンスをするしで、
それが曲の異世界感、悠木碧扮する少女が迷い込んだ世界に自分も入ったような浮遊感。
加えて曲への思い入れもあってすでに泣きそうだった。
悠木碧楽曲は得てして主語が「わたし」で進行するんだけどこの曲もその例に漏れず、
しかしてこの曲では「きみが大好き」「きみの隣」と二人称で「きみ」が多用されてて、
歌詞文脈では「きみ」が誰かは読み取れず、ひたすら「わたし」から「きみ」への言葉が語られるというのが言わんとする「浮遊感」の一因に感じた。
あと悠木碧ボイス。

3曲目「ビジュメニア
この難しい曲をよく歌いこなせるなと舌を巻く一方。
「白い女王の話」とは曲後MCでの本人談。
ズヴィズダーのタイアップとのことで「世界征服」をモチーフに、
悠木碧ワールドに上手くアダプトできてるなと思った。

4曲目「Baby Dolly Alice」
これもホントにやばかった。
まずプティパ内で僕が一番好きな曲という点。
悠木碧に「ドール」「少女」「ゴスロリ」みたいな要素は親和性高すぎる化け物かよ。
異国迷路のクロワーゼかよ。
この曲、1番2番と通してずっと少女がお気に入りの人形(=アリス)と楽しげに戯れる歌詞で、
それこそ悠木碧もステージで人形を持ってポップに歌い上げるのだけど、
Cメロで急転して「真夜中ゴミ箱の中にいることに気づいた『少女』がアリスに助けを求める」という歌詞になる。
曲調も一気にダウナーになって悠木碧の歌声も神妙に・悲痛になる。
そこでステージはというと、人形に扮する役者が上から急に降りてきてあおちゃんを見下ろす構図。
あおちゃんはそれを人形と見なして『Alice,Help me Alice』と歌うので、
曲を知らない人でも一気に「人形と少女の立場が入れ替わったんだな」と理解が及ぶ。
そんな舞台演出、悠木碧の悲痛さも相まってゾクリと来る。
大サビでは更に一転、1番2番同様のテンポに戻って歌い出すので、
そこにはポップに歌い上げる悠木碧に狂気じみたモノを感じてしまう。
そんな演出だった。
この曲は歌詞で「私の可愛いBaby Dolly Alice」「私の愛しいBaby Dolly Alice」と繰り返すので、
先のCメロ部分だけ見ると人形ホラーに見える世界だけど、
全体を通してみると少女の狂気的な愛のほうが露出してくる。
「アリスがいれば他に何も要らなくなった女の子の話」とは悠木碧のMCでの談。

MC
MCと言っても悠木碧自身「夢の世界の案内人です」と一貫して世界観を保つキャラでいた。
客の空気の読めない野次にも上手く対処していたのが好印象。
頭の回転早い子だなー。
「今宵はいろんな女の子の話が出てきます」とさっき歌った曲を軽く振り返ったり。
「いろんな女の子の話」とオムニバスを明言されると、
冒頭に出てきたお婆さんとその横で寝る少女のセットは、
全体を通して お婆さんの語る物語/少女の見る夢 辺りの設定で生きてきそうな気がしてくる。
「さっきのアリスと少女の続きの話です」と次の曲へ。

5曲目「サンクチュアリ・アリス」
とにかくさっきのBaby Dolly Aliceと較べて、
よりダウナーでより閉鎖的で狂気的な印象を受ける。
という感想しか公演中は浮かばなかったのが口惜しいところで、
改めてこの曲のコンセプトを調べたりすると膝を打つ箇所も多くて、
これを知った上で見ておけば演出意図も汲めたろうにという気持ち。
参考:http://natalie.mu/music/pp/yukiaoi/page/3

6曲目「アールデコーラジュ ラミラージュ」
これもやばい。
とにかく言えるのは異世界感。
異世界と言ってもファンタジックなイメージでなく何か得体のしれない世界の感じが存分に出てた。
歌詞にも「ドアは閉じられた『おうち帰れない』」と露骨に不安感を煽ってくる。
加えて舞台上ではダンサー全員が白い仮面を被って舞って、
同じ仮面がバックの映像にブラクラかってくらい大量に映しだされるのでとにかく恐怖する。
曲途中で魔女が天から降りてくるし終始なんだこれやばいやばいって思ってた。

7曲目「ソラミミ PiZZiCATO」
8曲目「SWEET HOME」
9曲目「twinkAtrick」

ベッドとドアのセットが出てきてダンサーが友達役としてあおちゃんちに遊びに来たイメージ。
ソラミミの途中で帰っていくんだけど、
家に人が沢山いた時の喧騒と帰った後の静寂がビジュアルに伝わってよい。
「モノオトはPiZZiCATO 怖くないよ」と歌詞から家に誰かいるのではと不安を煽るのも
セットやあおちゃんの振る舞いにリンクしてて良かった。
そのままSWEET HOMEへ繋ぎのもなるほどと膝を打つ並び。
twinkAtrickまでゆったりした雰囲気が続いて
曲の大サビ辺りでベッドの上にいたあおちゃんがセットごと舞台下へ捌けてく。


ここで衣装替えの繋ぎで映像が入る。
夢と現実の合間にいますよ〜と執拗に訴えてくる内容だった。
アニメーションっぽい背景の中にリアルな目や口を浮かばせて気味悪さが強い。

10曲目「迷宮舞踏会」
黒いドレスっぽい衣装を着たあおちゃんが登場。
一貫して着席してサイリウムを振ることに徹していた観客も
ここぞとばかりに裏打ちクラップをして楽しい。
舞踏会よろしくダンサーもタキシードやドレスで社交ダンスの振る舞いなので雰囲気出てる。
そうだ僕はこれをやりに来たのだと思わせる楽しさがあった。

11曲目「ダスティー!ダスティーストマック」
ここでダンサーを連れたあおちゃんが客席を練り歩きながら歌うサービス。
と言っても22列の僕にはほぼほぼ関係無い話で。
近くの客と楽しそうにハイタッチしてたし多分悠木碧たっての希望なのだな。
ここまでの流れを受けて「次はどんな演出でどう歌いあげるんだ・・」と期待していただけに
多少口惜しい気持ちだった。
「ダスティー ダスティーストマック」って客も一緒に歌う(ように煽ってた)箇所があって、
まあ客も一体になれるし客席めぐるならこのタイミングなのかな。
でも声オタが割拠する会場を練り歩いて「ダスティーストマック」と歌うのちょっと面白くないですか。

12曲目「ロッキングチェアー揺れて」
13曲目「Angelique Sky」

ロッキングチェアが揺れていた。
冒頭に出てきたお婆さんが揺らしていてライブ冒頭のセットとリンクしていた。
Angelique Skyの途中でセットと一緒にあおちゃん捌けた。


2度目の映像。
あおちゃんがお婆さんの声と少女の声をどちらも担当していた。
少女が夢から醒めて「おはよう」とか言っているので分かり易く夢の世界から一区切り。
先のロッキングチェア〜Angelique Skyのセットで冒頭とリンクさせていたのもここでなるほどとなる。

14曲目「クピドゥレビュー
伝家の宝刀クピドゥレビュー
全ての彼女がフラグをおられたらに感謝・・・。
さすがに今までの流れを汲んで立って跳んだりこそしないものの
曲の頓狂さに体が屈するのでウヒョー!という気持ちだった。
この曲聴くためにがをられのイベント昼夜行ったんすよ。。
頑張るキミを誰かが見てる諦めちゃダメ・・。
ともあれクピドゥレビュー、実は今日は来ないのでは、と思っていたのは
MCで「いろんな少女の物語」と言われたのもあり、
クピドゥレビューは一人称出てこないし1人の少女の話というわけでもないよなとは考えていた。
歌詞をきちんと見返すと、世界を俯瞰している運命の女神、みたいな意味で少女と言えなくも無ない。
それでもやはりそれまで歌われていた「少女の物語」とは一線を画すニュアンスなので、
これはさっきの映像で「夢から醒めた」わけなので、
さっきまでの少女文脈に沿ってなくていいのだと納得した。
ライブ後に改めて悠木碧楽曲のインタビュー記事に目を通したのだけど、
「ウソくさい感じ、なんかちょっと地に足が付いてない感じにしてほしくて」とは悠木碧の談。
感情として楽しさが勝っていたのだけどその雰囲気に気づけたら現実に戻ってのこの曲の意味も変わってくる。
歌詞文脈で受け取るなら今までの少女系譜を廃して俯瞰した歌詞、
特殊から一般、具体から抽象とそういう対比を無理くり見出せる、
一方その「ウソくさい感じ」に目を向けると「現実に戻った」という解釈に懐疑的に。
解釈の悩ましいクピドゥレビューだった。
出典:悠木碧クピドゥレビュー」インタビュー (1/4) - 音楽ナタリー Power Push
http://natalie.mu/music/pp/yukiaoi03

15曲目「ポポン…ポン!」
懐疑的という意見に拍車をかけるのがラストのこの曲。
一人称「わたし」でMVでは少女がネコの胃の中で踊る映像。
「『回転木馬としっぽのうた』のアンサーソング」とは悠木碧のインタビュー記事での談。
そんな具体コンテクストを纏った曲を持って来られると「現実に戻った」が更に怪しくなる。
結局現実に戻ったのかまだ夢の中にいるのか、
そこで1つ目の映像で執拗に「夢と現実の合間」と訴えていたのが効いてくるのか。
そもそも1stフルアルバム「イシュメル」を引っ提げてのライブで、
イシュメルはモチーフ(≒テーマ)を「隙間(スキマ)」としていたことを思い出す。
セットリストを見てもイシュメル全11曲中10曲が歌われているウェイトなのだと気づく。
結局夢現の境は曖昧なまま、というのは、なんとも悠木碧の好きそうなオチではないか。
そう納得することにした。

MC
正真正銘に終わりとのことでダンサーや役者(魔女役の人)も出てきてカーテンコール。
「跳べなくて消化不良?最初からそんなものだよって言ってたでしょ(笑)」と茶化す。
アンコールの存在を匂わす発言もしていた。
あっさり捌けて客がアンコールアンコールと斉唱。


アンコール。
Tシャツ姿であおちゃん再登場。
「さっき跳ばなかった分ここからは跳ぶ曲を歌います」と宣言。
どこまで痒いところに手の届くライブなんだ・・・。
勿論ミュージカル・プルミエの公演はそれは素晴らしいものだったけど、
声優ライブと息巻いて肩透かしを食らったという気持ちもゼロではなかった、というのも正直なところ。
えっ!そんな贅沢していいの?!ってなる。

16曲目「ジェットコースターと空の色」
あーーーーーってなった。
屈指の名盤「プティパ」の中でも屈指の名曲。
僕のドキドキとビュンビュンは加速する。。。

17曲目「時計観覧車」
あーーーーーーーーーーーってなった。
この流れはずるい、というかこんないっぺんに聴けてしまっていいのか。
えっ 今日は全員カレーライス食っていいのか!!となっていたところに
おかわりもいいぞ!と言われている気分だった。
2番Bメロからああーーーーーーーーーーーーーーーってあおちゃんが歌うのがやばい。
そこから間奏→大サビの繋ぎも最高。
DECO*27に感謝・・・。

18曲目「I Can Fly!」
時計観覧車を歌い終わってあおちゃんが「とぶには準備がいるからちょっと待っててね」と捌ける。
5分くらい?(意外に長かった)待たされた。
しびれを切らした客から「あおちゃん!」コールが自然発生してた。
出てきたあおちゃんはさっきと同じ衣装で、
変わっていたところと言えば両脇のワイヤーなのでもしや?と思ってたら 飛んだー!!となった。
悠木碧は空を飛ぶのだ・・。
ていうかさっきまで客が盛り上がる(跳び曲とか)のニュアンスで「跳ぶ」って言ってたので、
「とぶには準備がいるから」の「とぶ」がFlyとは思わないじゃないですか。
とんだ叙述トリックだ。
もらった旗はここで振るらしかった。
悠木碧印のフラッグが壇上に出てきて多分ここで振ってねの意図だったんだと思う。
でもみんなクピドゥレビューで振るよね。僕も振った。
キンブレに比べて軽いし長いしスナップを利かせると紙のクシャッとした音が出るので旗を振るのは楽しいんですよ。


終演。
フォロワーと会ってご飯を食べたり感想戦をしたりした。


いやいやヤバいライブだった。
そもそも僕がプティパもメリバもイシュメルも大好きなので絶対的な評価ではないものの、
セトリと演出が特に印象的なライブであった。
あまり嗜んでなかった歌詞解釈の機会も与えてくれた意味でも大きい。
普段セトリ意図とか考えずに無為にライブを消費しているのも考えものだ。
今度また悠木碧ライブがあればシュガールプやNight Paradeといった、
まだ聴けてないプティパ屈指の名曲群を聴きたい。
悠木碧楽曲/アルバムはそれ自体、それ自体というのは音から歌詞から何から何まで、
コンセプト(=世界観)が凝ってるので聴いていると悠木碧の言わんとする“少女の世界”に浸れるのだけど、
言うなればそれはあくまで聴覚的で、
今回のライブはそれを視覚的、あるいは触覚的、勿論聴覚的に体感できたいう点で、
例えるとしたら「感覚を何倍も鋭敏にする薬」を飲まされたような、
悠木碧世界を何倍もの感覚で身体に叩きこまれた衝撃だった。
構成そのものはやはりミュージカルに喩えられる表現をよく見る。
というのはオムニバスな進行と沿った舞台設定がモノを言わせていたのだけど、
僕自身宝塚やその他ミュージカルを観る機会も最近多少あって、
そこでは得難い感動があったのは楽曲への思い入れと悠木碧への思い入れあってこそなのだ。
ふらっと観た劇が面白くてもそこに「僕文脈」を持ち込めないし「役者文脈」を理解するにも足りてない。
そういう意味でプルミエ、かなり特殊な場だったのだ。

いいか、悠木碧は空を飛ぶのだ・・。