竹馬

 

また寝る前に竹馬のこと考えてた。

就寝前の電気を消して目を瞑って脳内に意識を向けるとき、決まって浮かんでくるイメージのひとつが「自分が竹馬に乗っているシーン」なんですよ。

 

竹馬に乗った幼少期を思い出してるとかでなくちゃんと成人男性の体重を竹馬が支えてる。2本の軸に自分の体重を委ねてる不安感、地面から十数センチ高い浮遊感、重心が思ってるより前にある意外感、などが竹馬に乗っている自分を思うだけで追体験されて楽しい。物理的に竹馬と同時でないと身体が移動できないので竹馬と一体となったようなエンタメ性もある。単純に自転車やセグウェイに乗るような新しい移動感覚に対する楽しさ。竹馬の接地面では確かに体重が乗っているのに、竹馬を使った移動はまるで体重を意識せずにできちゃってるのも良い。楽しいと同時に落ち着く感じもある気がする。竹だからかな。

 

少し話は変わるけど「就寝前の電気を消して目を瞑って脳内に意識を向けるとき決まって浮かんでくるイメージ」の他のパターンがあって、それが「自分が屋内で首を吊ってるシーン」なんですよ。本当に全然マイナスな意味は無くて、「首だけで自分の体重を支える」って生きてて1回もやったことないじゃん。自分の首が鉄のように硬い仮定のもと首を吊ったら絶対にブランコ的な楽しさが存在して、腰に紐を巻いて吊るとかと同じ感覚でイメージしたくなる。絶対に試せないという背徳感もエンタメに拍車をかけてるかもしれない。だから竹馬も首も、空想の中で空を飛びたいとかと同じ感覚なんだろうな。

 

話は戻って脳内で竹馬に乗ってまず地面を歩く。でも想像の中の地面はどんどん柔らかくなっていってズブズブと沈むから今度はアスファルトの上を歩く。足場が硬いと作用反作用で体重が直に感じとれて良い。

 

そのあとアスファルトの坂道を歩こうとする。平地で竹馬に乗ると基本は前傾姿勢でバランスを取るんだけど、上り坂だと傾斜のおかげで重心がいつもの位置に戻る。坂を歩いて登ろうとすると普通重心は前に行くんだけど、竹馬で坂を登るときは身体が重力と平行になる。いや本当か…?竹馬の前傾に上り坂の前傾を重ねるんだから更に前傾になって、下向いてるんじゃないかみたいな姿勢なんじゃないか。下り坂はどうだろう。前傾のまま下るとそのまま転げ落ちちゃうので重心は後ろを意識するだろう。じゃあ下り坂こそ身体が重力と平行になるのかな。いやそもそも傾斜次第では竹馬の足を載せる部分が坂に引っかかるな、だったら後ろを向いて下るのが正解か。うーん考えるのに飽きてきた。

 

次に竹馬で階段を登ろうとする。十数段で終わる屋内の階段でなく空に向けて永遠に続いてるような階段。竹馬で階段を上がるときはどうするだろう。片足を1段上に掛けた時点で重心の置き方がわかんなくなる。あれ、両方の軸にバランスよく体重掛けながら足を持ち上げられるだろうか。しかも置いてきたもう片方の足を上げるときはまだ体重を置ききってない既に上げた足のほうに体重を寄せないといけないしそのままバランス取るの無理じゃないか。片足ずつ登るのが駄目ならジャンプで一気に登るのはどうか。いや着地時に絶対バランス取れないしな…。そろそろ階段を下ってみるか。いや1段ごとの足場の幅が十分無いと下り坂問題が発生しちゃうな。いや足場の幅が十分あっても大股で踏み出さないと駄目だ。しかも基本は平地と同じ前傾なのでめちゃくちゃ怖い。やっぱりもう1回アスファルトの坂を登ってみたいな。うーんなぜか落ち着くし平地には無い安定感がある。

この辺りで竹馬に飽きて首でブランコしたりする。

 

 

これ不思議なのはそもそも僕が竹馬に乗るのに成功した経験無いんですよね。小学校低学年くらいに竹馬を触った記憶はあるけど2歩以上歩けた記憶は全く無い。それが悔しくて何度も挑戦したわけでもなくて、多分数回トライして無理だなと諦めたと思う。でも竹馬に乗る自分だけはなぜか憧れとともに原風景として存在してるんだよな。憧れというよりフワッと未知ラベリングをして未知フォルダに置いただけだと思うけれど。

 

坂道や階段などの姿勢は絶対調べれば正解がわかるんだけど、これの正解を知っちゃった日の夜から自分は布団で何を思うのかなと思うとちょっと怖い。今まで意味のあった想像が次の日から急に空虚になるのはイヤだな。あと実際の竹馬を触るのも怖い。自分が竹馬に乗れないことを身体で思い出したら今まで書いたこと全部泡が弾けるように消えてしまう気がする。でも空想のように楽しく竹馬に乗ってみたいって気持ちもあるから目の前に竹馬置かれたら乗っちゃうな…。

あとここに寝る前の思考を全部筋道立てて書いちゃったから、もう寝るときに同じこと考えようとしてもこの文章のトレースになっちゃうんだろうな。今からどうやって寝ようかな。

 

終わり。